今のままで良いのか、変わらなきゃいけないのか。そんなことも分からないけど、せめてもう少し考えてみようと思う。  それすらも出来ないようなら、あたいは誰とも関われない。本当の意味で『大馬鹿者』になってしまうから。                               ――――チルノ  氷上に白く乱れ咲くそれは、目の前を覆うようにして咲き誇る花だった。  普段ですら余り働いてくれない頭は、寝起きだと更に精度が悪い。  目の前にちらちらと舞う白。寝ぼけた頭でもそれが雪であると認識し、たちまちチルノは大きな瞳を輝かせる。  舞い散る雪は優雅に、幽玄に。咲き誇り、太陽の浮かぶ空に添うように咲いた、小さな結晶。  やがて散る定めならば、それならいっそそれすらも自分のものにしたいと、その小さな輝きさえも握りつぶしながら。 「あなた、何やってるの?」 「……誰よあんた」  誰かに思いを寄せることも、押し付けで。  確かにチルノは馬鹿だった。  それはとある年の初雪の頃。チルノがまだ、本当に意味で何も分かろうとしなかった、そんな頃のことだ。  冬は良い。  チルノは常日頃そう思う。自分の冷気を操る程度の能力と相乗関係が在るゆえか。自分の中の力が高まるのを感じ取ることは容易く、チルノは笑みを隠せなかった。  力がある。それだけで自分は強く在れた。力があれば多くのことが出来るようになるのは自明の理。自分にとって都合のいいことにもなりやすいし、することができる。その蜜を甘受することは、何よりも変えがたき至福で。  逆に言ってしまえば、だからこその自分であるのだ。誰に対しても不敵で不遜で絶対的に独立した自分の存在。それがあるのだと認識できるのは、そういった面が作用しているのだろうと。その結論に帰結することができる利便さが、そこにはある。  しかしながら、チルノが最近に感じるようになった不変さの、何と寂しく、つまらないものか。自分の土俵に上がるものがいない、その事実のつまらなさか。それすらも分からず、チルノはその傲慢さに気付くことはない。  ただ若干の寂寥と共にしながら、チルノは今日も一人で。  冬と共にやってきた初雪。それを追いかけては潰す。 「楽しいなー。楽しいなー」  そう言い聞かす、そんな自分をつまらなく思え。  それは自分を囲う境界の、一人きりの世界だった。 「あなた、何やってるの?」  背後からかけられたアルト調の声。ほんの少しばかり険の篭もった、そんな声。  その声に覚えなどなく、チルノはそれを侵入者のものだと判断する。 「……誰よあんた」  声にチルノはやや不快そうに眉を顰めながら振り向く。この湖、その氷上。いったいこの不届きものは誰なのか。この湖は自分の領域であるのというのに、何故にそれを侵したと言うのか。  チルノから見たそれの第一印象は、白。まるでこのまま雪の中に溶けていきそうな、そんな非現実な白さ。  そっと溜息をつき、再び口を開く相手はの声は、まだ険が抜け切っていなかったが、ひどく透明で。  それなのにしっかりとチルノの鼓膜を揺らす、異質感。 「そんなことはどうでも良いの。いったいあなたが何をやってるのか。それだけを言えばいいのよ」 「……嫌。あんたが答えてからにしてよ」  元々引く道理はなかった。従う道理もなかった。突然に現れた何者か。その不審者の言うことを聞く道理など、チルノには持ち合わせていなかった。  しかし本当は正当や不当問わず、誰かに命令されるということ自体が生理的に受け付けられない。そんな自分をチルノは自覚できていたかどうか。  そしてそんなあらゆる思いや意図を含んだチルノのその発言。  それを聞いた相手は、三度口を開く。 「……レティ」 「……え?」 「私の名前はレティ。レティ・ホワイトロックよ。覚えておくことね」  降り行く雪は淡々と。  天高く空。流れる雲のほんの小さな隙間から差し込む日が照らす。  氷上に、影二つ。  二人の会合。それはまるで粉雪のように、ほんの一瞬のものだった。 「この雪は私が生み出したものよ。言わば私の子供のようなものね。それが自然へと還るならまだしも、あなたのような妖精に蹂躙されるのは黙っていられないわ。自重しなさい」  レティの姿はもう見当たらない。上記の台詞を残して、既に湖から去ってしまった。 「何なのよ、あいつは……っ!」  無礼だった。失礼極まりなかった。あまりに礼儀に欠けているではないかと、チルノは自分を棚に上げながら強く思う。  苛立ちながら足元の雪を踏みにじる。何が子供だ。無機物に命などないではないか。いや、そもそも何故自分が見下されなければならない。憤りと、憤怒。チルノは生まれてこの方、一度も感じていなかった思い。それが胸中を巡る。  しかしそんな胸中とは裏腹に、もう一度レティに会いたいとも感じていた。自分に対してあれほどまでに強く出れる奴。身の程を教えるとは別に、ただ純粋な好奇心。そこまで言うのならやってやろうではないかという対抗意識。 「けど、もう会うこともないわよね」  結局のところ、良く分からないことだらけである。チルノは少しだけレティに会うにはどうするべきか、どうあるべきか思いを馳せたが、数秒もしないうちにどうしようもないという結論に達した。あれは言わば幻想の類だと、そう思うことで決着する。  答えを得たところで、チルノは顔を上げた。顔にはいつもの表情。考え事などらしくないと、奔放に振舞うことであるべきようにあるのだと、そう言わんばかりだ。  考えても仕方のないことなら考えない。及ばないことなら気にしない。それが自分。誰にも対しても不変な自分のスタイル。  そうして邪気のない仕草と表情でいつものように時間を過ごしながら、いつの間にかレティのことは頭から消えていた。  池のほとりに現る幼き氷精の影。チルノだ。  暇を持て余し、湖から程近い池までやってきた。  チルノは池の淵にしゃがみ込み、覗くようにして池の中に視線を奔らせる。目の前に映る淡水の独特な水。そこから透けて見える目的のそれを、チルノは見逃さない。  ぱしっ。  素早く水の中に手を突っ込むチルノ。手を引き戻したとき、その掌に収まっていた蛙。じたばたともがいていた。  そのまま手にぐっと力を込める。と言っても握力で潰そうとしているわけではなく、手から出す冷気を蛙の中まで浸透させる様、慎重に。そして時には大胆に作業を進める。  そして数秒もすればできあがる、蛙の型をした氷の彫像。手の中に収まったそれを、しげしげと見つめる。  完全に凍り付いていた。最早蛙は動くことは適わず、ただその命を凍らせていた。  仮死状態だろう。急激に凍らされた生命は、仮死ではあるものの、まだ残されている。  しかし、これで終わりではない。  チルノはその蛙をそっと池の水に浸け始めた。解凍するために。この時凍らせ具合が芳しくないと、無残にも砕け散る。成功する確率は三分の二。すなわち、三回に一回は砕ける。蛙が、命を散らす。  仮死から死へと誘う、まるで、命というチップを賭けたゲーム。しかしそれを賭けているのはチルノではない。だからこそ、純粋に遊びと称される非情さが浮く。  びし。  水に浸けしばらく後、氷漬けの蛙から鈍く嫌な音が出た。  チルノの手に伝わる、微かな反動。  ただ、チルノにとってはそれだけの意味でしかない。  日は高く上り、白銀の世界は光の乱反射。酷く目に痛い。  目を閉じることは眼神経にも、思考にも優しかった。  ただ、直視しないことは逃避でもあるのだけど。 「久しぶりね妖精。答えは得たかしら?」 「何であんたがここにいるのよ」  再会には一週間程かかった。 「何で、って言われてもね。ちょっとした老婆心でもあり、どうしても合いえないために生じる不利益を危惧したのかもしれないわね。実際のところ、気まぐれだということだけど」 「何なのよそれは。あたいはそんなことを聞いてるんじゃないわよ」 「それが全てよ。分からないかもしれない。まぁあなたには分からないでしょうね。聞けば自分の求める答えを必ず得られるわけじゃないこと。それすらも理解できないのかしら」 「うるさいわね。従わないなら従いなさいよ。我侭言うんじゃないわ」 「……困ったわね。これじゃ会話にならないわ」  レティはやけに大仰な仕草で溜息をつくと、チルノを見やった。その瞳の何と不遜なことか。  それがチルノの苛立ちと、どうしようもなく弄ばしていた部分を刺激する。 「……何よ。全く何なの? あんたは何がしたいのよ」 「言ったでしょ? 自重しなさいと。もう覚えてないかしら?」  言われて、数秒。 「……ああ、あれね。いったいどういう捨て台詞なのか、教えて貰おうじゃない」 「捨て台詞? 違うわ。あれは時間を与えただけに過ぎないわ。執行猶予。少し意味は異なるけど、モラトリアムに浸る時間を与えたってわけ」 「……さっきから訳の分からないことを言わないでよ。何? やる気なの? なら手加減しないわ」  会話を通して、改めてこいつは自分には合わないのだと気づく。そして、ならばさっさとこの無意味なやりとりも終わらせるべきではないかと、半ば強硬的な姿勢をとるチルノ。  そのチルノの単純さを見透かしたかのように、レティは哂った。何をほざくのだと。何を粋がるのだと。そう、哂った。 「やる気があればどうなのかしら? あなたが望む結果は得られるかしら? そんなわけないわよねぇ。そんなことがあるわけがないのよ」 「何でそんなことが言えるのよ」 「あなたと世界の差異」 「……はぁ?」 「というよりも、あなたの世界と、私の世界との違いよ。あなたの世界はあなたの望む結果が得られる世界で、私の世界は私の望む結果が得られる世界。正しいと思うのなら、より自分の世界を信じるものじゃないかしら」 「……何を言ってるの?」 「…………。そう。なら、分からないなら考えなさい。そのままじゃ、それこそ誰にも分からなくなってしまうわ」 「…………」  思考に沈む。  自分の世界、とは何だろう。とチルノは思った。世界とは常に一つ。この舞い散る雪が、湖の、氷上に立つこの世界が、ここから見えるその全てが世界なのだ。目の前のレティという何かは、違うものを見ているのだろうか。違う何かを背負っているのだろうか。そしてその何かが、自分と違うまた何かを生み出しているのだろうか。  もし、そうだとしても。仮にそれが正しいのだとしても。  自分のことには到底及ばないことだ。他人の世界がもしあったとして。自分にいったいどのような関わりを持つのか。それを考えても自分の世界は揺るがない。他人の世界なんて分からないのだから。知りえないことなのだから。  それならいっそ気にもとめないほうが良いのではないのだろうか。だから自分は好きなように、成るがまま、あるがまま。好き勝手に生きてもいいではないか。  つまり、そういうことではないだろうか。チルノは結局変わり映えしないその答えこそ正当なのだと、思ったとおり、感じたとおり、レティに告げた。 「……参ったわね。歪過ぎる。さすがは妖精といったところだろうけど、それじゃあ最初から私とは合い得ないわけね。やっぱり、それは私の問題でもあるのでしょうけど」  全てを聞いて、レティはそう締めた。  その言葉の微かな違和感。気にならないわけがない。 「あんた、何者? 私たち妖精以外の何か? それで、どうしたいの?」  『何』ではなく『何者』。その中に含まれる絶対的な違い。  単純に、理解の差。それと、どれほど自分の中で昇華できてその問いを言えたのか、その昇華できたものの絶対量の違いがそこにはあった。  妖精以外の何かという、存在そのものの源流。それに気づけなかった愚かさ。それという重さ。そういった全てだ。  そしてチルノの中で一つ思い起こされる、ある言葉。 「どうもしないのよ。言ったでしょ。これはただの気まぐれ。私たち妖怪が、妖精に目をかけることなんてそんなものでしかないのだから」  曰く、妖怪と妖精では合い得ない。  <<オチが付かないまま強制終了>>  コメント  ごめんねごめんね間に合わなかったからごめんね